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テレビは、私たちの世代にとってはあたりまえのものであり、反面それゆえに特別の存在です。そうしたアンビヴァレントな思いをはっきりと自覚するようになったのは、それほど昔のことではありません。おそらく、デジタル機器が生活の中に徐々に浸透し、仕事の仕方が変わり、そして周囲の若者たちのテレビとの接し方に、何となく違和感を覚えるようになった――ここ数年のことだと思います。
1961年生まれの私は、まさしくテレビの黄金時代に生まれ、テレビとともに少年時代を過ごしました。父が公務員、母が教員で、祖父母とともに三世代で暮らしていた私は、当時の同級生に比べると比較的古いタイプの家庭の中で躾けられたせいか、思い返してみるとさほどテレビまみれになっていたわけではありませんでした。しかし逆にそれだけに、たとえば友達がみんな見ていた番組を見ることができずに何となく寂しい思いをしたり、ある種テレビに対する微妙な想いを抱えたまま、育っていったといえます。
大学卒業後、1984年から約15年広告会社で働きました。広告会社でも、花形だったテレビの仕事には少し距離があるセクションにいました。当時、業界内では「マス・メディア」の限界がよく囁かれるようになっていました。「大衆」に対抗して「小衆・分衆」という言葉が流行し、セグメンテーションを重視したマーケティング・マネジメントの重要性が叫ばれはじめていました。
インターネットに出会ったのは1995年。当時は、約10年前から皆が予兆を感じながらもなかなか形を現さない「マスの終焉」が、いよいよ始まるのかと思ったものです。デジタル技術は、先進性や未来イメージを伴って急速に広まっていきました。そしてそれはビジネスマンにとってみれば、新たな市場を開拓する「フロンティア」気分を煽ってくれるものでした。誘われるままに、友人たちが作ったインターネットの情報サービス企業の立ち上げに加わりました。
しかし、そこで経験したことは、思い描いていたような未来イメージとはやや異なるものでした。私たちは根深く浸透するマス社会の中で、イメージ通りにビジネス・スキームを進めていくことの息苦しさに苛まれました。経営に行き詰まった私たちは、テレビ局を訪問し、「マス」との連携の中に生き残りをかけましたが、それはうまくいきませんでした――ちょうどブロードバンド時代到来の前夜、2000年春のことです。
それから私は、「メディアとは何モノか」を考えることを仕事にするようになりました。たまたまメディアに近いところで働いてきたせいかもしれませんが、ある意味私は、この問いは、現代人が抱え込んだ「自分とは何モノか」とか「自分は、この社会をいかに認識してきたのか」という問いと丁度対称関係の位置にあるものと考えています。これだけたくさんのメディアに日々囲まれ、その変化に翻弄され、またグローバルに広がった「世界」とそれらを介して向き合うことを強要されている私たち。そんな私たちにとって、“メディアに包囲されて生きる人間とは”とか、“認識のツールとしてメディアの機能を考える”とかいった、存在論、認識論的なメディアに対する疑問は、多少距離間の違いはあるにせよ、それぞれの個人史を振り返る中で、ごく自然に共有しうる主題なのではないかと考えるようになったのです。
(『テレビジョン・クライシス』あとがきより 2008.5)
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