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刺客(テロリスト)の青い花
『刺客の青い花』
西垣通 著


『刺客(テロリスト)の青い花』について

「悦楽のテクスト。粉々にされた快楽。粉々にされた言語。粉々にされた文化。それは想像しうるあらゆる目的性を−−快楽の目的性さえも−−持たないという点で、倒錯的である」       ・・・ロラン・バルト『テキストの快楽』

「テクストとそれの位置する言語(ラング)との関係は再配分の関係、つまり、破壊=建築の関係である」     ・・・ジュリア・クリステヴァ『セミオティケー』

 哲学する者(思考を生業とする者)が、物語を書くということは、ある種の「実践」「行為」であろうとおもう。シーコロニーという今日の世界と架橋する仮説(仮設)舞台を設け、生命の決定論的状況と戦う様々な登場人物を配する。こうした人物、例えば幻児。彼にに内在する「思考」「記憶」「身体性」は、作者の「思考」「記憶」「身体性」の問題と入れ子の状態にあり、また読者の「思考」「記憶」「身体性」の問題と交錯する。その点において、フィクションはリアルと交わり、現実社会を分析する視線と、創作する意思とがシンクロする。こうして物語を書くということは、「生命」を人の手によって記述しきることが果たして可能なのかという究極の問題、そのものに関する実践である。

さらに登場人物たちを苛む、「主体性=自分を見つめることができる」という絶対的な苦しみ(228頁)。この苦しみの存在が、我々個々の人間自身が生命というシステムと思考というシステムのカップリングの位置を表象する「出来事」であることを証明する。テロリストは逃走する。逃走しているはずが、実はどこまでも永遠に回帰している。結果的に「その男」は、ずっとシーコロニーのコミューター発着基地のホールに動かずにいただけなのかもしれない。息絶え、物理的な断片として回収されるまで。視覚的に捉えられる「不動性」(観察者にとってスタティックであること)とは全く対極に、一人一人の「頼りない個の記憶のうちに」、実は物語のダイナミックさは宿っている。

この「個」の弱さは、弱さそのもの=“欠損”(ブズワン)こそがそれを乗り越えるのだ・・という道を示している。頼りない「個」と、かけがえのない「個」の交歓。この物語の終わりは、現実に留まり続ける我々の日常の物語の始まりでもある。情報を研究することが、日々を生きることと結びつく実感を与えてくれる作品である。
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